人間にはできないことがある」 04.09.05
ルカ18:18〜30
信仰者の歩みは、最終的にどこに到着するのかがはっきりしています。
人の目には、どんなに迷っているように見えたとしても、主イエスと共に
あるものとしていただいたゆえに、神の国という到達点に着き、そこで
永遠の命に入れられるのです。その確信を持って地上の歩みを進めて
いけるのは、なんと幸いな事でしょうか。
その確信を持てないでいた一人の議員が、主イエスに、「何をすれば
永遠の命を受けられるか」と尋ねました。この人は、誠実な信仰生活を
送り、真剣で真面目に生きてきた人です。社会的な地位や名誉もあり、
人からの尊敬も受けていたでしょう。またお金持ちでした。多くの人から
あこがれられる人です。しかし、それでも、永遠の命の確信を、持つことは
できません。最後に迎える死に対しての恐れと不安がありました。
だから、イエスさまのところに来ました。必ず迎える死に対して恐れる
だけでなく、そこに希望を見いだすことが人間には必要です。
最後の所に希望があるかないかは、その人の生き方を大きく
左右するでしょう。
「何をすれば」と尋ねる議員に、「自分のものを一切捨てて人に与える
徹底的な隣人愛が欠けている」と言われます。また、「財産のあるものが
神の国に入るのは難しい、無理だ」ともおっしゃいました。
神の国に入れられ、永遠の命を受けるには、神を愛すことと人を愛すことに
おいて完全が求められます。神の国には、完全がふさわしいからです。
しかしそれは、人にできることではありません。イエスさまは、「だから、
神さまが可能にする」とおっしゃってくださいます。
議員は、自分にはできないと知って悲しみました。
しかし、それを可能にするために十字架にかかって三日目に復活される
方が、自分の目の前にいらっしゃるのです。
その方に、欠けある自分を委ねたら良いのです。
その方は、ご自分のそばにいる者に、たとえその者に欠けが
あったとしても、「あなたは永遠の命を受ける」とおっしゃることが
できる方なのです。